ヒス束の「ヒス」は人物名?発見者と心臓刺激伝導系の歴史を深掘り

ヒス束

心臓の刺激伝導系を学ぶ際、必ず登場するのが「ヒス束(bundle of His)」です。房室結節から伝わった興奮を左右の脚へ伝える重要な構造ですが、「ヒス」という名称が何に由来するのか知っているでしょうか。

実は、ヒス束の「ヒス」は1893年に心房と心室を連絡する特殊な筋束を報告した医学者Wilhelm His Jr.(ヴィルヘルム・ヒス・ジュニア)の名前に由来しています。

さらに興味深いことにヒス束が発見された当時は洞結節や房室結節はまだ発見されておらず、現在のような心臓刺激伝導系の全体像は明らかになっていませんでした。

今回はヒス束の発見者の人物像から心臓刺激伝導系が解明されるまでの歴史、そして現代の心臓電気生理学への発展について詳しく解説します。


ヒス束の発見者:Wilhelm His Jr.とは?

ヒス束を発見したのはスイス生まれの医学者Wilhelm His Jr.(1863〜1934年)です。1863年12月29日にバーゼルで生まれ、ドイツを中心に内科医・医学研究者として活躍しました。

ヒス束の「ヒス」は人物名?発見者と心臓刺激伝導系の歴史を深掘り
Wilhelm His Jr.(1863〜1934年)

ここで注意したいのは父親も同じWilhelm Hisという名前だったことです。父親のWilhelm His Sr.(1831〜1904年)は発生学や組織学の発展に大きく貢献した著名な解剖学者でした。つまり、父親と息子の両方が医学史に名を残しているのです。

  • Wilhelm His Sr.(父):解剖学者・発生学者
  • Wilhelm His Jr.(息子):内科医・ヒス束の発見者

心臓のヒス束に名前が残っているのは息子のWilhelm His Jr.です。なお、ドイツ語では「His」は英語の代名詞hisのようには発音されず、日本語では「ヒス」と表記されています。

ヒス束発見以前:心臓はなぜ拍動するのか?

現在では心臓の拍動は洞結節に存在するペースメーカー細胞の自動能によって始まり、刺激伝導系を介して心房・心室へ興奮が伝わることが知られています。しかし、19世紀には、心臓が自動的に拍動する仕組みについて大きな論争がありました。その中心となったのが「神経原説」と「筋原説」です。

神経原説(neurogenic theory)

神経原説は心臓の拍動が心臓内部の神経細胞や神経系によって生み出されるという考え方です。当時、神経が筋肉の収縮を制御することは知られていたため心臓の規則正しい拍動も神経によって引き起こされると考えられていました。

筋原説(myogenic theory)

一方、筋原説は心筋そのものに自動的に興奮する能力があり、その興奮が心筋組織を伝わることで心臓が収縮するという考え方です。

現在の知識では洞結節や刺激伝導系を構成する特殊心筋細胞が自動能や興奮伝導を担っているため、心臓の拍動の発生については筋原説が基本的に正しかったといえます。ただし、自律神経系も心拍数や房室伝導を調節する重要な役割を担っています。

心房と心室の興奮はどのようにつながるのか?

当時、もう一つ重要な疑問がありました。それは、心房と心室の間には線維性の組織が存在するにもかかわらず、なぜ心房の興奮が心室へ伝わるのかという問題です。

現在では房室結節からヒス束を経由して興奮が心室へ伝わると説明できます。しかし、当時はその具体的な解剖学的経路が十分に解明されていませんでした。この謎の解明に重要な役割を果たしたのが後のヒス束の発見です。


1839年:ヒス束より先にプルキンエ線維が発見されていた

ヒス束の発見史を理解するためにはさらに約半世紀前までさかのぼる必要があります。1839年、チェコの生理学者Jan Evangelista Purkyně(1787〜1869年)は、ヒツジの心室心内膜下に存在する特殊な線維状の組織を報告しました。これが、現在のプルキンエ線維(Purkinje fibers)の発見として知られています。

プルキンエが観察した組織は通常の心筋とは異なる特徴的な外観を持っていました。しかし、当時はこの組織が心臓の電気的興奮を高速に伝える役割を担っていることまで証明されたわけではありません。

つまり、プルキンエ線維は、その機能が解明されるよりも先に、解剖学的な構造として発見されていたのです。興味深いことに、現在の刺激伝導系では末梢側に位置するプルキンエ線維がヒス束や房室結節、洞結節よりも先に発見されていました。


1880年代:Gaskellが房室間の筋性伝導を研究

ヒス束の発見につながる重要な研究を行ったのがイギリスの生理学者Walter Holbrook Gaskell(1847〜1914年)です。Gaskellは主にカメなどの心臓を用いて心房と心室の興奮伝導について研究しました。

彼は心房と心室を連絡する筋性組織に対して実験的な操作を行い、両者の収縮の関係が変化することを観察しました。この研究は心房から心室への興奮伝導が神経だけでなく筋性組織を介して行われるという考え方を支持する重要な証拠となりました。

ただし、Gaskellの研究は主に動物を用いた生理学的実験であり、哺乳類の心臓に存在するヒス束の具体的な解剖学的走行を同定したものではありません。Gaskellが房室間の筋性伝導を生理学的に研究し、Hisがその解剖学的な連絡路を明らかにしたという関係になります。


1893年:Wilhelm His Jr.によるヒス束の発見

1893年、Wilhelm His Jr.は心房と心室を連絡する特殊な筋束の存在を報告しました。この筋束が後に「ヒス束(bundle of His)」と呼ばれるようになります。

どのように発見したのか?

Hisは心臓の組織を薄く切った標本を顕微鏡で観察し、心房と心室の間に存在する筋性の連絡について研究しました。特に心房中隔と心室中隔の間に存在する特殊な筋束に注目しました。

この筋束は心房と心室の境界にある線維性組織を越えて両者を連絡していました。当時の報告では、マウスやイヌ、人間の心臓などを用いた観察が記載されています。また、筋束の連続性を把握するためには組織切片を作製する方向が重要であることも指摘しています。

なぜ画期的だったのか?

心房と心室の間には電気的な絶縁に重要な役割を持つ線維性組織が存在しています。そのため、心房の興奮がどのように心室へ伝わるのかは当時の大きな疑問でした。

Hisが発見した特殊な筋束はこの問題を解決する重要な手がかりとなりました。すなわち、心房と心室は完全に独立した筋肉の塊ではなく両者をつなぐ特殊な筋性の連絡路が存在することが示されたのです。

Hisは興奮伝導の機能まで証明したのか?

Hisの業績は単に特殊な筋束を発見したことだけではありません。その後の研究では房室連絡部を実験的に切断することによって心房と心室の収縮が独立する現象も検討されました。

これらの研究は、房室間の筋性連絡が興奮伝導に重要であるという考え方を支持しました。ただし、当時は現在のようにカテーテルを用いてヒス束電位を直接記録する技術は存在していませんでした。したがって、当時の証拠は主に解剖学的観察と生理学的実験に基づくものでした。

1893年の時点では刺激伝導系の全体像は不明だった

ここで注意したいのはヒス束が発見された時点では現在知られている刺激伝導系の全体像が確立していたわけではないことです。当時は、洞結節も房室結節もまだ発見されていませんでした。

Hisは房室間を連絡する特殊な筋束を発見しましたが、その近位側に存在する房室結節や遠位側のプルキンエ線維との連続性が体系的に解明されるのはその後のことでした。


同じ1893年:Kentによる房室間の筋性連絡の研究

ヒス束が報告された1893年にはもう一人、房室間の筋性連絡について研究した人物がいました。イギリスの生理学者Albert Frank Stanley Kent(1863〜1958年)です。

Kentは房室接合部に存在する筋性の連絡について研究し、房室間の興奮伝導に関する解剖学的な考察を行いました。現在、WPW症候群などでみられる房室副伝導路は歴史的に「Kent束(bundle of Kent)」と呼ばれることがあります。ただし、ここには注意点があります。

Kentが1893年に記載した筋性連絡がそのまま現代のWPW症候群における副伝導路と完全に一致することが証明されているわけではありません。

当時の解剖学的記載と後に電気生理学的に明らかになった房室副伝導路の概念は区別して理解する必要があります。同じ1893年に、HisとKentがそれぞれ房室間の筋性連絡について研究していたことは刺激伝導系の歴史において非常に興味深い事実です。


1906年:日本人研究者・田原淳が房室結節を発見

ヒス束の発見から約13年後、心臓刺激伝導系の研究は大きく進展しました。その中心となったのが日本人病理学者田原淳(Sunao Tawara、1873〜1952年)です。

田原はドイツの病理学者Ludwig Aschoffの研究室で心臓刺激伝導系の解剖学的研究を行いました。1906年、田原は房室結節を含む刺激伝導系について詳細な研究成果を発表しました。

房室結節の発見

田原はヒス束を近位側へ追跡することで心房中隔の下部に存在する特殊な組織を明らかにしました。これが現在の房室結節(atrioventricular node)です。房室結節は歴史的にAschoff–Tawara nodeと呼ばれることもあります。

ヒス束とプルキンエ線維の連続性を解明

田原の研究の重要性は房室結節の発見だけではありません。田原は房室結節からヒス束、左右脚、さらに末梢のプルキンエ線維へと続く特殊心筋組織の連続性を詳細に明らかにしました。それまで別々に発見されていた構造がひとつの連続した刺激伝導系として理解できるようになったのです。

つまり、Hisが房室間の筋束を発見し、田原がその近位側と遠位側を含めた刺激伝導系の連続性を体系的に明らかにしたということになります。この研究は現代の心臓電気生理学の基礎を築いた非常に重要な業績です。


1907年:KeithとFlackによる洞結節の発見

房室結節の発見に続いて心臓の拍動を開始する部位も解明されていきました。その研究を行ったのが、イギリスの解剖学者Arthur Keith(1866〜1955年)とMartin Flack(1882〜1931年)です。

彼らは、右心房上部の上大静脈との接合部付近に通常の心房筋とは異なる特殊な組織を確認しました。1907年に発表されたこの研究は洞結節(sinoatrial node)の発見として知られています。

洞結節は現在では心臓の正常なペースメーカーとして理解されています。ただし、洞結節の発見当初からその電気生理学的機能が現代と同じ水準で証明されていたわけではありません。その後の生理学的研究によって洞結節が心臓の正常な自動能の中心であることが明らかになっていきました。

刺激伝導系は興奮の流れる順序とは逆に発見された

ここで非常に興味深い歴史的事実があります。現在の刺激伝導系は次の順序で興奮が伝わると説明されます。

洞結節 → 心房筋 → 房室結節 → ヒス束 → 左右脚 → プルキンエ線維 → 心室筋

ところが、主要な構造の発見順序は次のようになっています。

プルキンエ線維(1839年)→ ヒス束(1893年)→ 房室結節(1906年)→ 洞結節(1907年)

つまり、心臓の刺激伝導系は末梢側から中枢側へと現在の興奮伝導の順序とはおおむね逆向きに発見されていったのです。


ヒス束発見後のWilhelm His Jr.の生涯

Wilhelm His Jr.はヒス束の研究だけで生涯を過ごしたわけではありません。その後は内科学の幅広い分野で活躍し、特に痛風や関節疾患などの研究でも知られるようになりました。また、第一次世界大戦中に問題となった塹壕熱(trench fever)の研究にも関与しました。

塹壕熱は、主にシラミによって媒介される感染症で、現在ではBartonella quintanaが原因菌として知られています。Hisはこの疾患の研究にも関わり、Werner–His病という歴史的名称にも名前が残っています。

さらに、1918年にはベルリン大学医学部長、1928年には同大学総長に選出されるなど医学教育や大学運営でも重要な役割を果たしました。医学以外にも音楽や芸術に関心を持ち、ヴァイオリンの演奏を楽しんだことなどが伝えられています。1934年11月10日、70歳で亡くなりました。


心臓刺激伝導系の発見史:年表

年研究者主な業績
1839年Purkinje心室内膜下の特殊な線維を発見
1880年代Gaskell房室間の筋性伝導を生理学的に研究
1893年His Jr.心房と心室を連絡する特殊な筋束を発見
1893年Kent房室接合部の筋性連絡を研究
1906年Tawara・Aschoff房室結節の発見と刺激伝導系の連続性の解明
1907年Keith・Flack洞結節の発見を発表
1916年Bachmann心房間伝導に関係する筋束を報告
1932年Mahaim房室伝導系に関連する特殊な筋性連絡を報告
1969年Scherlagらカテーテルによるヒス束電位記録法を報告

まとめ

ヒス束の「ヒス」は1893年に心房と心室を連絡する特殊な筋束を報告したWilhelm His Jr.の名前に由来しています。ヒス束の発見は、当時まだ十分に解明されていなかった心房から心室への興奮伝導の仕組みを理解するうえで非常に重要な出来事でした。

その後、日本人研究者の田原淳が房室結節を発見し、ヒス束から左右脚、プルキンエ線維へと続く刺激伝導系の連続性を明らかにしました。さらにKeithとFlackによる洞結節の発見によって現在の刺激伝導系の解剖学的な全体像が形成されていきました。

ここで特に興味深いのは、心臓刺激伝導系が現在の興奮伝導の順序とはおおむね逆向きに発見されていったという点です。プルキンエ線維が1839年、ヒス束が1893年、房室結節が1906年、洞結節が1907年に発見されました。

私たちが日常的に使用している「ヒス束」という名称には、心臓がどのように拍動し、興奮がどのように伝わるのかを解明してきた医学の歴史が刻まれているのです。


参考文献

  1. Roguin A. Wilhelm His Jr. (1863–1934)—The man behind the bundle. Heart Rhythm. 2006;3:480–483.https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/16567300/
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  6. Tawara S. Das Reizleitungssystem des Säugetierherzens: Eine anatomisch-histologische Studie über das Atrioventrikularbündel und die Purkinjeschen Fäden. Jena: Gustav Fischer; 1906.